07 スケッチブックの存在
自分を再構築するためのシンプルなツール
先週末のハイライトは焚き火でした。庭仕事で出る枯れ枝や落ち葉も立派な燃料です。暖もとれるし焼き芋もできる。11月の日暮れどき、ぱちぱちと燃える火を見ているだけで、妙にありがたい気持ちになります。
秋は駆け足のように感じます。ひんやりとした空気、柔らかい日差し、豊富な果物、日ごとに長くなる夜の時間…のんびり愉しみたいと思ってはいても、忙しい毎日、何事にも焦ってしまいがちで、やれやれと思います。
さて、今日はスケッチブックについて書こうと思います。自分の創作においては、もはや欠かせないツールの1つです(もう1つはコーヒーです。)先日、スケッチブックのページが「Sketched Out」という書籍に掲載される機会に恵まれました。その準備にあたり、過去のスケッチブックを並べて眺めていたわけですが、改めて、このシンプルなツールの偉大さに気がつきました。
思い返せば、日常的にスケッチブックを使うようになったのは4年ほど前です。自分の仕事に迷いが生じていた時期でした。それまでの約15年間は、個人でデザインやイラストを請け負う仕事をしてきました。子育てをしながら家で仕事をする、という環境を少しづつ整え、思い描いていたライフプランどおり、一見とても順調…に思えましたが、少しづつ、どうも何かが違うような、小さなズレを感じ始めていました。
以前はワクワクしていた仕事に、同じ気持ちが湧いてこない。新規の依頼が入ってくると、ありがたい反面、じわじわと胸の中に曇が広がっていくような。一体どうしちゃったのか。例えるならば、森を歩いているうちに、実は少しづつ道を間違えていて、ちょっと違うところに辿り着いちゃったかも…とハッと気づいた瞬間、みたいな感じでした。
そんなモヤモヤを抱えた日々、あるとき、ふと「直感」の声が聞こえてきました。「誰のためでもない自分だけのスペースで自由にやってごらん」と。仕事の依頼のためでもなく、誰かに期待されているものでもない、今の自分に正直な何か、それは何だろう。
「直感が何かを言ってくるときにはそれに従う」というのが、マイルールのひとつでもありますので、文房具屋に足を運び、小さなスケッチブックを買いました。新しいスケッチブックを手にしたのは、デザイン専攻であった大学生のとき以来。ちょっとした高揚感。そしてこう決めました。「一日15分間、このスケッチブックに自由に描きたいものを描く」と。
ごく簡単なことのつもりでしたが、最初はそれすら難しかったことを思い出します。まず、誰にも頼まれていないものを作るということへの違和感がありました。人の要望に応じて作ることにすっかり慣れきってしまっていたのですね。子育てしながら必死に仕事を維持してきた中、たった15分でも自分のためだけに時間を使うことが後ろめたくもありました。自分が作りたいものを作るということを、ほとんど忘れてしまっていました。
そんな自分にショックを受けつつ、いいんだよ、と、自分で自分の肩をポンポンたたきつつ、心に従ってページを埋めるということを続けました。すると少しづつ、いろんな感覚が戻ってくるのを感じました。鉛筆を紙の上に走らせることが楽しい。色の組み合わせにワクワクする。ページが埋まっていくのを見ると嬉しい。そもそもアートの世界に足を踏み入れた時の自分に戻ったような感じがしました。小さいスケッチブックが、広いプレイグランドになり、それがどこに向かっているのかはわかりませんでしたが(今もわかりません)、とりあえず見えてきたこの光を目印にして進むほかないなと思いました。
そんな具合に、再び自分を探す旅が始まったその日から今日まで、スケッチブックは常に一緒にあります。イラスト的な絵からモチーフのない感覚的な絵まで、自分の絵の変遷が時系列でそこに記録されており、時間が経ってから振り返ることができるのは貴重なことで、そうすることで見えてくるものがあります。
続きはまた次回に。読んでくださりありがとうございます。
Akiko Juni
◾️ライティング舞台裏の独り言(水面下の試行錯誤をオープンにメモする場)
「そうだ、スケッチブックについて書こう。」と思いたち、軽い気持ちで座って書き始めてみたら、言いたいことが山ほどあることに気づきました。(よくあるパターン。書きたいことは、実際に書き始めると出てくるようだ。)なので、それらを分割してシリーズにしてみようと思います。しかし、もう11月も半ば。冬休み前に書き終えないと、年末年始を挟んだら絶対に忘れてしまう…。と、ひとりまた焦る…。







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