04 心の冬眠
日常を小さくシンプルにする選択
おちついて文章を書く時間をもつことができたのは、ほぼ半年ぶりです。ここしばらくインターネットでの発信をお休みしていました。まるで冬眠のような時間を過ごし、季節はいつの間にか初夏に。
私にとって「文章を書く」ことは、絵を描くことと似ているようです。自分の内の深い場所に降りていって、もやもやした何かをとりだしてきて形あるものにする、というような作業です。そのためには、静かな時間と、たっぷりとした頭の余白が欠かせません。
ところが近年、暮らしは忙しくなる一方。3人の子どもたちはみな十代、それぞれの意思で動くようになり、必要なサポートも様々。自分も含めると、4人分の人生を生きているようなもので、それはそれで面白いんですが、その上に創作や仕事を加えれば、まるでお手玉を5、6個いっぺんに空中で回しているような感じです(現実には2個しか回せませんが。)そんな中、年が明けて能登地震が起きました。
石川県に暮らす私たち一家は幸い被災を免れましたが、多くの方々が暮らしを失いました。「日々こつこつと紡いでいる自分たちの暮らしも、次の瞬間には消えてなくなるかもしれない。大事な家族も明日みんな死んでしまうかもしれない。」ということを突きつけられた思いでした。
ここ日本では、またいつ地震が起こるかわからないし、世界はいまだ不穏な空気に満ちています。いまこの瞬間にも、日常を失っている人がどのくらいいるのだろうと思うと、心がちくりと痛みます。自分の平穏な暮らしに何か罪悪感のようなものを覚えたり、その穏やかな暮らしも実はとても脆いものの上に成り立っているのではという心許なさ。いろいろな感情に揺さぶられるうちに、日常の些細なことさえ重たく感じられるようになりました。
たとえば買い物をしていても、どのパンを選べばいいのか決められない。というかパンを食べようという気力がない。そもそも自分が何を食べたいのかわからない。「このままではまずい。心を休ませないといけない。」と気づき、まず思いついたのが、インターネットから離れることでした。外から流れ込む情報は今は必要ない。雑音の中では、自分の内側の小さな声なんて、かき消されてしまいます。静かなところで、自分が何をどう感じているのか、きちんと聞いて消化したい。今は、一日づつ、目の前の暮らしをしっかりやろう。そう思いました。
ですが、インターネットで発信を続けてきた私にとって、そのサイクルを断つことは怖くもありました。日々続けることで生まれる勢いはとても貴重なものです。だからこそ続けてきたのです。「一度やめてしまったら、ゼロになってしまうかも」という不不安は消えませんでしたが、心のSOSを無視するわけにはいきません。結局、頭だって身体の一部。頭であれこれ考えていることよりも、生き物としての感覚の方がきっと正しいはずです。
ということで、2月のある日、インターネットへの扉をパタリと閉めました。ニュースは見ない。Instagramも開かない。発信もしないし、投稿も見ない。DMも気づかないことにする。すると日常は小さくシンプルになりました。みるみる肩の力が抜け、空中のお手玉はぽとぽと床に落ち、あたりは静かになりました。これまでずいぶんと気負っていたことに気がつきました。ずっと投げ続けていなくてもいいのかもしれない。落としちゃってもいい。また拾えばいいのだから。新たにぽっかりとできた時間の中で、大きく伸びをして深呼吸をしました。
この冬眠は、静かに心を休ませて、ガスを抜き、そしてまた膨らませるという時間になりました(パンが食べたくなってきました。)思えば、自分のために意識的にそんなことをした記憶がありません。どんな時間だったのか、続きはまた次に書くことにします。
さて、がたがた道をなんとか進んでいるようなこのニュースレター、ゆっくりとでも創作まわりのことを書いていきたいと思っています。まだ自分なりの書き方が定まらず、読み返すと「ひー」と思うような文章、引き出しに隠してしまいたい気もするんですが、あえて世の中に晒していきたいと思います。(幸い?たくさんの人が読んでいるわけではないと思いますので。)完璧に書けたら出そうなんて思っていたら、いつまでたっても動けません。たぶん。
Do it while you are afraid of it.
読んでくださりありがとうございます。
今日が昨日よりも少し平和に近づいていますように。
Akiko Juni




