05 外側のノイズをなくしてみると
雑音のほとんどは必要なかった
梅雨になりました。雨はきらいではありません。ぱらぱらと屋根に落ちる雨音が聞こえると、その瞬間がとても静かに思えます。屋根があること、家があることをありがたく思う気持ちが込み上げてきて、しみじみとしてしまいます。家という場所が大好きなのです。
さて前回は、疲れた心を休めるために、ネットでの受信発信をお休みして冬眠に入ったことについて書きました。もう夏至を過ぎた今ですが、あの特殊な時間がどのようなものであったのかについて思いを巡らせています。むしろ、通り過ぎてみると見えてくるものがあります。その渦中にいるときに客観視するのは私にとってはとても難しい。
そもそも、1人時間、とくに冬の家時間に幸せを感じる私にとって、外側のノイズを絶って内側に入っていく「心の冬眠」というアイデアは、きっと素敵なはずという予感がありました。そして実際にネットから離れてみると、その居心地の良さといったら。今までは何だったんだろう?はたして現代のペースに戻れるのだろうか?何気なく取り入れていた雑音のほとんどは必要なかったのだ、とわかってしまいました。
自然界は本当によくできていると思います。実際に冬眠をする生き物たちは、生命を保つための生き方を本能で知っています。かたや、私たち人間はどうでしょう。頭ばっかり使って、身体で感じとることが減ってやしないだろうか。もうすこし生き物としての本能に耳を傾けてもいいような気がします。もっとシンプルに、自然のサイクルに沿った暮らし方にどうしたら近づけるだろうか、と考えます。
さて、心の冬眠のあいだですが、何も無理強いはしないと決めました。絵を描くことも、したいと思わなければ、しなくてもいい。ですが、結局は描いていました。自分はやはり絵を描くことが好きなのだ、とわかりました。
朝、コーヒーを淹れ、アトリエのガスストーブをつけます。ノートを開いて、頭の中にあるものをページにどんどん書き出します。鉛筆が紙の上をさらさら走ります。本もたくさん読みました。普段は読まないような詩集や、絵本など、心にいい感じに作用してくれるものを探し出しては片っ端から読みました。(優雅に聞こえるかもしれませんが、必死です。)スケッチブックに絵を描きました。これまではその日の絵をInstagramで発信していましたが、その必要もありません。写真を撮らなければと思うこともないし、アプリを開くこともない。自分が描きたいものを描くだけです。従うのは、心が喜ぶという感覚だけ。からからだった湖が水で満たされていくような感じで、これ以上の滋養ってちょっとないんじゃないかしらと思いました。
単純なことなのに、すぐ忘れてしまいます。創ることも書くことも、少なくとも私のやりたい創作は、何かのためとか、他の誰かのためとかではありません。先に来なければならないのは、自分がそこから喜びを得られるかということ。そもそもそこからスタートしたはずなのに、こうも見失いやすいのはどうしてなんでしょう。まだまだ余計なものをたくさん抱えた自分ですが、シンプルでありたい、と思います。
読んでくださりありがとうございます。
Akiko Juni
おまけ:ライティング舞台裏のひとりごと
「2カ国語でニュースレターを書く」という新しい試みの水面下での試行錯誤をオープンにメモします。(実はこういうのが後から読むとおもしろいかなと思って。)
まだ書くリズムがつかめない。今のところは、英語版を先に書いて、同じ内容を日本語モードで新たに書く(単純な翻訳はしない。うまくいかなかった。)というやり方だけれど、そうすると、どうも日本語版が長くなりがち。これは日本語の特性?母国語で書くと多く語れてしまう?はたまた英語で一度書いた後だから自分の中で深まっている?ううむ。
当初の目論見では、「英語版を書いて、それを単純に日本語に翻訳して、2つを同時進行させる」と考えていたけれど、やはり実際にやってみないことにはわからないのである。I learn by doing.





